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VOL. 04 津山恵子 x 石渡美奈

好奇心の赴くまま、想像力を最大限に
〜ジャーナリストとして、一市民として生きる〜

共同通信社の特派員としてニューヨーク駐在から帰任する機内にて、「もっと書きたいことがあった」と振り返り、フリーランスになることを決断したジャーナリストの津山恵子さん。アエラやビジネスインサイダージャパンなどに執筆するほか、自らが住むクイーンズ区のコミュニティで日本の夏祭りを企画するなど、一市民としてグラスルーツの異文化理解・相互理解活動にも尽力している。“一匹オオカミ”となって10年めを迎える彼女と、3代め 石渡美奈がホッピーを片手に語り合った。
(以下、敬称は略します)

朝7時から零時まで、原稿数は15本。「書く訓練ができた」

石渡 津山さんには、私たちホッピービバレッジがこちら(ニューヨーク)で行っているイベント「HOPPY NIGHT OUT」「HOPPY ICE MUG」にも初期のころから参加いただいています。ありがとうございます。

津山 こちらこそありがとうございます。改めてこうして美奈さんと二人でお話する機会をいただくと、私の方がインタビューしたくなってしまいます(笑)。

石渡 今日は私が(笑)!津山さんといえば「ニューヨーク在住ジャーナリスト」というタイトルが必ずついていらっしゃいます。私ももちろん、津山さんの記事を拝読しております。ジャーナリストを目指そうと思われたきっかけはなんだったんですか?

津山 小さな頃からものを書くのが好きで、いざ就職となったとき、自分が好きな書くということでお給料がもらえるんだ、新聞記者になりたいなと、それはもう単純に。

石渡 共同通信社だったんですね。私はてっきり、津山さんはずっと海外をベースにしている方だと思っておりました。

津山 ずーっとドメスティック(日本国内)でしたよ。私が入社したころは、その数年前から女性の総合職もスタートしていましたが、男性社会でしたね。私はすぐに地方転勤で福岡支社に配属され、「サツ回り」から。

石渡 サツ回りとは?

津山 警察取材です。新人には一番の下積みといえるかも知れません。いま振り返れば、リサーチ能力はもちろん、ネゴシエーション(交渉力)を含めた対人コミュニケーション能力が鍛えられたな、と。

石渡 その後、ニューヨークだったんですか?

津山 いいえ。福岡から長崎、そして福岡に戻ったのち、東京支社の経済部へ。10年経った2003年、青天の霹靂みたいにニューヨーク特派員の話がきたんです。

石渡 専門は経済で?それともいまのように政治や社会のネタも書いてらっしゃったんですか?

津山 それこそ経済のみ書く経済記者として、でした。通信社の記事っていわゆるニュースがメインで、掲載したり取り上げたりする媒体が尺に合わせて選べるような記事の書き方をします。つまり、記事を切っては投げ、ちぎっては投げというもの。一日に多くて15本書いていたころもあります。

石渡 それは凄まじい。ずっと走り続けていらしたんですね。

津山 お昼寝もさせてもらっていましたが、朝7時から零時過ぎまで働いていましたね。でも、書く訓練になりました。いま、ひとつひとつの事柄をまとめつつ、長い原稿でも一気に読んでもらえるようなストーリーに書き上げることができるのは、あのころ書いて書いて書きまくったからだと、そのおかげだと思っています。

ビジネスクラスの14時間。心にあったのは「まだ書きたいことがあった」

石渡 独立を考えたきっかけは何だったんですか。

津山 東京への帰任が決まり荷物も送って、帰国する飛行機の中でした。駐在員ですから引越し業者も手配いただける立場。東京に戻ればそれなりのポジションも用意していただいていたと思います。でもビジネスクラスのシートに座って、矢のように過ぎた3年のニューヨーク駐在を振り返ったとき、「これでいいのか。まだもっと、書きたいことがあったよな」って思ったんです。

石渡 機内の「ひとり時間」って濃縮されていますよね。特に走り続けていらしたから、帰路へのひとりの時間は、深い内省のような時間だったんでしょうね。

津山 ニューヨークから東京の14時間、しばらく東京で頑張ってから戻ればいいとか、またチャンスがあるかもしれないとか、とにかくあれこれ考えていました。でもはっきりしていることは「まだもっと、書きたいことがある」ということ。そしてそれは、ちぎって投げるタイプの記事ではなく、通信社ではできない。飛行機が着陸するころには、帰国したばかりだからこそ「戻りたい」という気持ち、そして自分がやりたいことをストレートに伝えることができると、気持ちを固めていました。空港についてすぐに上司に帰任報告のアポイントメントをとり、2日後には「辞めます」と伝えました。

石渡 ドラマですね。それからすぐにニューヨークに戻られたんですか?

津山 東京での身辺整理を終えてから、2006年の年末には戻っていました。帰ってきたのはいいものの、仕事がまったくなくって(笑)。でも、赴任中に忙しくてできなかった、ニューヨークっぽいことを一気にやりました。楽しかったなあ。

石渡 たとえばどんなことですか?

津山 メトロポリタン歌劇場の25ドルチケットを並んで買って観劇したり、街中を歩きまわって写真を撮ったり。ちょうど年末だったので、ホリデーウィンドウのディスプレイをひたすら撮影して、「クリスマスの風景」というスライドショーをつくって同僚や上司、お友だちにメールしたりしていました(笑)。

石渡 そのスライドショーはほしかったかも!フリーランスになって初めてのお仕事を覚えていらっしゃいますか。

津山 それが傑作で、なんと英語の記事だったんです(笑)。日本語で長い記事を書くために戻ってきたのに。

石渡 ええ?それはまた、面白い展開ですね。

津山 こちらのタブロイドなんですが結構骨のある記事も読める『Newsday』という媒体が、当時、ブッシュ大統領がイラク派兵を増やしたことで世論が高まった際、「各国の特派員たちはどう考えているか」を募っていて、それに書いたんです。英語で記事を書くなんて初めてのことで、原稿がひどかったんだと思います。編集部から電話があって小一時間ほど担当の方に「これはこういう意味で書いているんだよね」と確認されながら仕上げました。

石渡 「話せる」と「書ける」ことは違う、ということなんですね。

「どんな記事を読みたいだろうか」。起点はいつでも想像力

石渡 津山さんが考える、ジャーナリストとはなんですか。

津山 映像でも文字でも、メディアという言葉は日本語で「媒体」、つまり仲介するもの・なかだちをするものですが、まさにそれだと考えています。当事者と一般市民の間に入って、事実や真実を伝えるのがメディアでありジャーナリストです。たとえば殺人事件が起きたとします。一般市民は、そういうとき現場に行けないし、実際、警察や関係者を目の前にしたとき、何を質問していいかわからないと思います。質問をするということは案外難しいことで、状況に合わせた質問を投げかけることは、訓練によって身につくものだったりします。「なぜこんな事件が起きてしまったのか」「社会背景は?」「これから予想されることは?」。こういった質問を、ぱぱっと現場でできるからこそ、プロフェッショナルなのです。一般市民が知りたいこと・知り得ないことを、一般市民に代わって現場で汲み上げ、それをわかりやすく伝える。それがジャーナリストだと思います。

 

石渡 本田宗一郎さんが「人の心に棲む」ということをおっしゃっていますが、まさにそのことですね。つまり、人の心になりきってみて、「どんな車がほしいと思うか」「どんなバイクに乗りたいと思うか」。それがアイデアの源になり、商品開発のエンジンになると。また、談春さんの著書で読んだのですが、立川談志さんが「どうやったら俺(談志)が喜ぶか、それだけ考えてろ。患うほど気を遣え。お前は俺に惚れて落語家になったんだろう。本気で惚れてる相手なら死ぬ気で尽くせ。サシでつきあって相手を喜ばせられないような奴が何百人という客を満足させられるわけがねェだろう」とおっしゃっていたと。私、これ大好きで、真髄だなあと。弊社の社員・人財教育にも使わせていただいています。

津山 想像力ですね。私も常に読者の気持ちを想像しています。「何が知りたいかな」「何を読んだら面白いと感じるかな」。想像力が起点で、それがあればアンテナがを張っているのと同じなのでネタも寄ってきますし、リサーチもはかどります。いまの時代、ウィキペディアもGoogleもあるし、調べようと思えばなんでも調べられます。そのうえに立って、生身の人間が何を欲して、何に喜びを見出すのか、どうしたらより理解してもらえるのか・伝わるのか。そういう視点が問われていますね。

記事にならなくても「ムフフ」。知る喜びに忠実に

石渡 ジャーナリストというプロフェッショナルな側面と、一市民としての側面。津山さんのその二つの側面をつないでいるのは、何でしょうか。

津山 好奇心じゃないですかね。知らないことを知りたい。知らないことがあれば聞きたい。とにかく基本は好奇心。

石渡 とにかく基本は好奇心!たとえば?

津山 先日、チェルシーマーケット(ビスケット工場が大改装されオフィスと商業施設となった。グルメスポットとして人気)に久しぶりに行って、ますます人が集うようになったなあと感心していたんですが、その人の群の隙間に見えた壁の扉が少し開いているのが見えて、「なんだろう」って開けてみたくなったりとかですかね(笑)。

石渡 そのお顔は開けたんですね(笑)?何がありました?

津山 使われていないベースメント(地下空間)が。それを1階から見下ろすような扉だったんです。記事になるわけでもありませんが、チェルシーマーケットの隠れた場所をひとり知ることができて「ムフフ」みたいな・・・

石渡 喜びがあるわけですね。わかります!

日本人だからこそわかるニューヨークの魅力

石渡 そんな好奇心が強い津山さんが、15年住んでもまだまだというニューヨークの面白さってなんですか。

津山 自分の中にある固定概念みたいなものを揺るがしてくれるところですかね。最近、YMCA(フィットネスセンター)に通ってズンバ(ラテン音楽に合わせたエアロビクスのようなエクササイズ)を習っているんですが、はじめの先生がやっぱりラテン系の先生で「生粋!」という感じでうまい。「ラティーノだもの、当然か」と思っている自分がいるんです。すると翌週、その先生がお休みで、代わりの先生はというとポーランド語をペラペラ話しているポーランド移民の女性。その彼女がまた、すごくうまい!私なんかどうしたって盆踊りみたいになっちゃうんですよ(笑)。それは置いておいて生徒たちはというと、私のコミュニティはラテン系が多いのでラティーナ(ラテン系の女性)ばかり。はたからみて、生徒たちの方が「血」でいえばズンバな人々なのですが、ポーランド人の彼女がお手本で踊るのをこれでもかと盛り上げて楽しんでいる。そして彼女の方がダントツにうまい。ラテン系だからダンスがうまいだろうとかそういう固定概念はあるし、人種や宗教、政治のレベルになると難しい問題があっても、こうして知り合っちゃって、ズンバなんか習っちゃったら、もう「キライ」なんていえなくなりますよね。そういう、差別とか区別の意識が薄まっていくのが、ニューヨークの魅力だと、いまだに実感するんです。国民のレベルで一つの言葉や慣例、一つの歴史しか共有していない島国・日本からきた日本人にとっては、新鮮な驚きや発見があると思います。

石渡 視野が広がる、という意味ですね。ニューヨークの面白さを感じながらジャーナリストとして生きる津山さんからみた、いまの日本ってどうですか?

津山 すごく排他的になっているような気がします。少し前はそんなことなかったと思うんです。「グローバル化」とかそういう言葉がたくさん使われていた。いまは、いかにして日本特有のレガシーを守っていくかに躍起になっているような。もう十分守ってきたからこそ日本は世界的な評価を得ているんです。それを誇張し過ぎると、違う捉え方をされるようになるものです。世界はどんどん狭くなって、それぞれの固有性や特有性を超えたところで、つまりOut of the Box(自身の常識に囚われない発想)で交わるようになっているのに、In the Box(自身の常識や固定概念に留まったまま、箱の中に入ったまま)になっているのが日本だと思います。美奈さんはどう感じられますか?

石渡 私はものすごい閉塞感を感じます。自分の周りは日々楽しいし明るいんですよ。だけど、大きなビジョンで見たときですよね。なんというか、いまひとつ希望を感じない。息苦しい感じが拭えません。

津山 帰国すると「久しぶりの日本はいかがですか」って聞かれるんですが、「昼は暗くて夜は明るい」って答えるんです。昼間にミーティングで会うと親しい方でも「やや、これはこれは本日はどうも」みたいなお堅い空気をまとっているんですね。それで夜の会食や飲みの席になると、わーっと盛り上がる(笑)。昼間にわーっと盛り上がってもいいじゃないですか。お酒の席でなくても、凝り固まらずにコミュニケーションをする。形式や型にはまらずに、昼間の働いているときに肩の力を抜けば、もっと柔らかい発想が生まれるんじゃないかしらって。

「こういうもの」と思って体験する偏見のなさに学ぶ

石渡 飲みの席といえばですが、この対談を収録しているお店は津山さんの行きつけのお店なんですよね。ローカルのバーという雰囲気で素敵ですね。

津山 あの子なんかピザを持ち込んでいるでしょう。食べ物の持ち込みが自由なんです。コミュニティセンターみたいですよね(笑)。

石渡 憩いの場というわけですね。どんなゆかりがあるんですか。

津山 The Bad Old Daysという店名は、「ひどい時代もあったよね」という意味合い。アメリカでいうといわゆる1950年代、60年代のことで、店内の装飾品もそのころのものを集めているんです。お店のコンセプトに話を戻すと、「ひどい時代もあったけれど、あれが礎でいまがある」みたいなポジティブな意味もあって、オーナーのひとりであるソーニャいわく、「いろんな人が集まってアイデアを語り合える場所にしたい」。その想いどおり、ここに集まる人たちは、年齢や人種、職業もバラバラですが、会って飲み交わして、平等な、フラットな関係を築いています。こういうバーが世界中にできたら、戦争なんかなくなるんじゃないかって思いますね。

石渡 津山さんがおっしゃる平等やフラットな関係って、どんな関係ですか?

津山 それこそ、目上の人だから言いたいことも言えないということなしに話ができるような関係ですね。たとえばここ(The Bad Old Days)では、私は年輩者の枠に入ると思いますが、みんな忌憚なく意見してくるし、私も若い子に対して「そんなことも知らないの」というような態度で接することはありません。自分がひとりの人間として知っていることをシェアし合う、そんな関係ですかね。

石渡 ここで昨年は夏祭りのイベントをされたとか。

津山 そうなんです。私が持っている浴衣を何人かに着せて。「帯がきつい」とか「心地悪い」とかあるんじゃないかなと心配したんですが、まったくなし。浴衣のまま飲んで食べてを6、7時間楽しんでいましたね。着物や浴衣は面倒そうという偏見なしに、「こういうもの」だとあるがまま楽しもうとするアティテュード(態度)が、ニューヨーカーに共通するマインドなのかもしれません。

石渡 なるほど。日本人だからこそ「こういうもの」と決めつけて構えてしまう場合がありますが、構えるのではなく「やってみる」方に転換できたら、また新しい世界が広がりますよね。

Out of the Box(常識に囚われない発想)を育てたい

石渡 津山さんのこれからの夢を教えてください。

津山 長い間、「のちのちに残るような、ちゃんとした物書きになりたい」という夢があったんですが、この数年、帰国の度に大学生や高校生に話をする機会に恵まれていて、次世代に直接伝えることも同時にできるんじゃないかと考えています。これまで自分が普通にしている暮らしでのエピソードが、若い世代に与える影響や刺激になるなど考えてもいなかったんですが、「津山さんがLGBTの方々と普通に食事をしたりしている話を聴いて、ショックを受けた自分がいた。自分はいままで差別なんてしない人間だと思っていたのに、ショックを受けたということは、偏見のようなものがあったということなんだと思います」という内容のメールをくれたり、すごく実直な反応があるんですね。私たちの世代がくぐり抜けてきたしがらみのようなものがなくて、「核兵器ってなくせるんじゃない?」「差別ってなくせるんじゃない?」と本気で思っている世代がいる。彼らがのびのびとOut of the Boxができる人間に育つような手伝いができればと考えています。

石渡 津山さんの講演会、拝聴したいですね。ほかにはどんなことで次世代を育てたいと考えていらっしゃいますか?

津山 実は絵本を描いている最中なんですよ。完成したらまたご報告させてください。

石渡 絵も描かれるんですか?完成のお知らせ、そしてニューヨークで何かご一緒できることも楽しみにしています。

Photographer: Lisa Kato

津山恵子

Keiko Tsuyama

ジャーナリスト、フォトグラファー