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2006年09月30日

知覧に感じる~生きていることの奇跡~

9月27日(水)晴れ

鳥浜トメさんが残した言葉

「なぜ、生き残ったのかを考えなさい。
何かあなたにしなければならないことが
あって生かされたのだから」

生きていることは当たり前。
それも、何一つ不自由なく、
自分の思うままに、人生を歩むことを
許されている。

現代の私たちにもっとも「当たり前」なことが
まったく当たり前ではなかった
戦争の時代。

生き残ったことは、奇跡。
奇跡を与えられたことは、許し。
許しにこめられたのは、使命。

どんなに生きていたくても
許されなかった時代に
比べたら、豊かな時代に
贅沢な人生を与えられていることの
ありがたさ、奇跡を痛感する。

「徳においては純真に、義務においては堅実に」

母校の校訓をまた、思い出した。

いま、抱えている悩みや問題点。
小さくても大事なことなんだが
生の奇跡を思うと、
ちっぽけに感じる。

今日も元気に生きていられることの
喜びを思えば、悩みなど
なんのその。
勇気をもって立ち向かおうと
思える。

今日も、元気におはよう!と
起きることができたことに
心から、感謝☆

2006年09月29日

感動経営

9月25日(月)晴れ

姉と慕っている国分寺のO社様の
経営計画発表会にお邪魔させていただく。

13時スタート。
懇親会終了20時過ぎ。

いやぁ・・・!!
(ご存知の方、ここは、渋谷4丁目社長を思い出してください)

経営計画発表会は、
社長の人柄がそっくりそのまま出るということを
痛感する。

感動経営を推進されているO社様だが、
寡黙だが、
強い信念に裏づけされた
懐の深さが男前な
社長でいらっしゃるご主人と
仲間内でもザ・ニッポンのお母さん!と
評判の愛情あふれる奥様、副社長、の
あたたかいお人柄に包まれた
発表会。

7時間、私たちはなんど、拍手しただろう。
どれくらい、感動の涙を流しただろう。

社長夫妻が、社員さんたちにサプライズを用意すれば
社員さんちから社長夫妻にサプライズの応酬。
最後は、社長夫妻が感動の涙で陥落。

まさしく、経営計画発表会のディズニーランド。

幹部と経営者のぴったり息の合った
二人三脚がすばらしかった。

問いかけられたら、「はい」と応える文化。
「ありがとう」と伝えられる文化。
パチパチパチ、仲間の活躍を惜しみなく讃えられる
賞賛の文化。

まだまだ、わが社には不十分で、私が作りたい文化だ。

講演をされた先生いわく。

「会社は経営者の感性、志以上には
絶対にならない。
社長よりすぐれた感性、高い志を持つ
社員は絶対にいない。
そんなすばらしい社員がいたら、
彼は会社を作るよ。」

だから。

社長はたくさん、勉強しなければいけない。
多くのよいものを見なければいけない、、、んだね。

2006年09月27日

知覧に感じる~母の愛~

9月24日(日) 晴れ

この日記をしたためているのは
27日(水)である。

知覧で受けたことが大きすぎて、
気持ちがまとまらなかったのである。

感じたこと一つめは
「母の愛」。

知覧では、特攻の母と呼ばれ、親しまれた
鳥浜トメさんと特攻隊での出撃が決まった
特攻隊員たちとの交流を
実際に交わされた手紙、
遺留品、遺書などの実物を見ながら
垣間見ることができる。

知覧には、膨大な資料が展示されている
特攻平和記念館もあるが
私は、トメさんの宿に泊まり、
トメさんの孫嫁にあたる現在の女将から
トメさんが語り継いだ話を聞き、
こちらの「ホタル館」を観ることをお薦めする。

本当の母のように
自分を犠牲にしても
惜しみない愛情を
特攻隊員に注ぎ、
涙をこらえて、見送ったトメさん。

出撃後は、隊員の自宅に
出撃直前に撮った写真と共に
息子さんが立派に使命を果たしたことを
手紙にしたためていたそうだ。

他の戦争に関する資料館を訪れたことがないので
比較が出来ないが、
知覧が温かくも哀しいのは、
狂おしいほどの大きくて深い母の愛を感じるから。

20歳前後の希望と未来あふれる男子達が
トメさんを本当の母親のように慕い、
彼女から注がれる母の愛に支えられたからこそ
無念をこらえ、元気よく
この世を去っていける様子を痛いほど感じるから。

どんなに実家の母親を恋しく思っただろう。
遺書のほとんどが「お母さん」宛てだった。

でも、トメさんの愛があったから、
彼らはまだ、救われたに違いない。
トメさんは日本のマザーテレサ。
そう教わったが、まさにそのとおり。

知覧の地で、
母と言う存在の大きさを改めて感じた。
強くて温かい母なる存在はすごい。

そして、私に幾つか与えられているだろう使命の中で
女であることに与えられた使命も。

女は、結婚の継続は別として
出産し、子育てをして初めて一人前と
以前から、思っていたが・・・。

せっかく、こんなにすばらしい使命を
与えてもらっているのだから、
果たさなければ勿体ない。

いつか母になったら、また、
もう一つ大きなホッピーの跡取りになれるような
気がしている。

2006年09月26日

知覧に感じる~序章~

9月23日(土)

我が社の新卒採用をコンサルしてくださった
社長さんのお誘いで、鹿児島は知覧に向かう。

知覧。陸軍の特攻基地のあったところである。

なぜに突然知覧?

きっかけはいつものノリ。
特攻隊の地であるくらいの軽い知識で
よくわからないまま、誘っていただくままに
そして、親しくさせていただいている
勉強仲間の社長さんたちが
いらっしゃるというので、
ホイホイとついていった・・・という
いつものパターン。

しかし。

知覧に漂う、不思議なオーラに包まれた二日間を
過ごして。

とても多くの、大きな塊を
受けてしまった。

重ねて行くごとに、
感性が高まってまた、感じ方が
変わると思うが、
第一回めを訪れての感想を
二日ほどにわけて
記したいと思う。

2006年09月25日

御礼

9月21日(木)晴れ

記念すべき、第一回ホッピー道場を
開催しました。

立場を同じくする跡取りさん、
ホッピー道場ユースから
2度目の参加をしてくださった方。

「ミーナの話は、ぼくが体験してきた
ことと同じで、恐ろしいくらいによくわかったけれど
僕とミーナのどこが違うのか、わかった」

「立場を同じくする女性が少ないので
うれしい」

などなど、優しい、親切な言葉を
沢山いただきました。

懇親会では、また、色々な
出会いもあったようで
嬉しかったです。

私のつたない話を聞いてくださったことを
心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。

これからも、たくさん失敗をして
経験を重ねて、また
第二回を開催します。
ユースもね!

どうぞよろしくお願いします。

2006年09月22日

製造業の跡取りたるもの

9月20日(水)

先輩の会社にお邪魔して、
いろいろと教えてもらう。

「製造業の社長になるなら
営業社長ではなく、製造社長にならないと
だめだ」。

彼の言葉は厳しい。

けれど、時折「私って何をするヒトぞ?」と
思うときがある。

営業が商品なのではなく
私は、ホッピーを作って
売ってるんだよね。

そもそも家業に興味を抱いた
きっかけが、「地ビール」なので
製造をまったく知らないということでは
ないけれど。

社長としては、まだまだ、知識と経験が
不足している。

10月には技術を担当していただく
役員も着任する。

第3世代感動工場の建築も始まることだし
工場長や彼を師に、貪欲に学べる
仕組みをつくろうっと。

人気は高さではなく、継続ではかる。

9月19日(火)

昨日の日記にも書いたが、
とある本に書いてあった言葉である。

人気は高さではなく、継続ではかる。

今の私の心境にあまりにもぴったりな
言葉である。

決して高さは、追い求めない。
世界でたった一つのホッピー文化が
一日でも長く続くことに徹底的にこだわり
日々、かかとをすり減らし、汗をかく。
学ぶ。戦う。

戦いに勝つためには
基本にこだわり、
その徹底と繰り返しが大事である
ということを
今日も教わりました。

たった一言が分かれ道パート2

9月18日(月)晴れ

リクエストを下さった読者の方
どうもありがとうございました。
アップが遅くなってごめんなさい。

私が体験したお客さまをファンにする
サービスについて。

大坂で飛び込んだ有名老舗和菓子店でのこと。

祖母に送ろうと入ったのだが
年老いた彼女は、量を食べることはできない。
喜ぶのは、「いろいろな種類を少しずつ」。

そこで、ギフト用にきれいにパッケージされている
商品には目もくれず、
干菓子、おせんべい、おまんじゅう・・・、
店内にあるかごに入れていった。

「すみません、これを横浜に送りたいんですが・・・」。

受けてくれた年配の女性店員さんが
「う~ん、こういう詰め合わせはやったことがないんですよね。
きれいに詰め合わせできないんですけど・・・」。

その言葉を聞きながら

きれいに詰め合わせることができない

老舗高級和菓子店のプライドに関わる

断られる?

と、予感していた。

「家族に送るので、きれいに詰め合わせる必要はなくて
せっかくのお菓子が壊れないように
詰めてもらえばいいんだけれど、だめですか?」

すると。

「あ、うちはまったく構わないんですよ。
なんでもやります。ただ、壊れないように詰めると
きれいには詰め合わせられないのですが
よろしいですか」。

それから彼女は、お菓子の並べ方を
なんども変えて、繊細なお菓子が
壊れることなく祖母のもとに届くよう
一生懸命やってくれた。

やり慣れない、面倒なことなのに
宮内庁御用達、高級老舗和菓子店なのに
「よろこんで!なんでもやりますよ」。

その言葉がうれしかった。
私の心を汲んで、面倒なことはいっさい言わずに
さっと受けてくれたことが嬉しかった。

後日。

ミーナセレクションのその詰め合わせを
祖母が喜んでくれたのは言うまでもない。

慣れない面倒なことを、面倒と思わずに
すぐにやれる・・・、
そんな教育が徹底されているからこそ、
この老舗が長く続いているに違いない。

人気をはかる真の尺度は
「高さ」ではなく「継続」なんだな。

2006年09月21日

恩師 その2

9月17日(日) 晴れ

もう一日、今度は別の恩師のことを
語りたい。

昨日、葬儀場でなつかしい恩師2人に
会った。

中学・高校時代の校長先生と
宗教の時間や、私が入っていた
サークルのご指導をいただいたシスター。

この校長先生もご闘病中と
聞いていて、案じていたのだが
お会いした時には、
かつてと変わらないご様子だったので
ちょっと安心した。

彼女はまた、在学中
とても厳しい先生だった。
しばしば授業中、ベランダ伝いに
見回りにいらしては、
授業以外のことをしている生徒を
見つけると教室に入ってきて
「没収」→職員室にお呼び出し。

保護者に対しても厳しかった。
「学校の方針に従えないのなら
入学をお断りします」。

あれ?

これって経営方針と似てるんじゃ・・・?

そう。

師匠のもとで学び始めた私は
母校で受けた教育と
師匠から聞いている経営の基本に
共通することが多いと
近頃、感じることが多いのだ。

週一回、いやいやながらやっていた「ワックスがけ」は
環境整備に、
制服の着方や持ち物のルールも厳しかったが
私たちは確かに、「形から入って心に」至っていた。

親が母校を選んでくれたのだが
おかげさまで、良い教育を受けさせてもらったなと
思う。

さて、その恩師。

重い病気も彼女の、アノ、気性で
きついリハビリも耐え、次々と
後遺症を克服されていると伺っていた。

そのとおり、お会いすれば
目の光、配り方は
以前と同じ威光を放っていた。

一週間前までは、もっとお具合が悪いと
伺っていたのに。

かつての教え子を前にして
教員プロ魂が、彼女を支えたのだろう、
そのプロ魂がすばらしいなと、
そして、きついリハビリに耐えて
がんばっていらっしゃる彼女の姿も
また、かっこいいと・・・。

私がこんなになっちゃったのも
こういう先生の背中を見て育ったからかも・・・、な~んて。

否。

彼女の教え子として、
私も不撓不屈の精神で
がんばろうと思ったのであった。これが本音。

つくづく。
祖父母、両親、恩師、師匠・・・
大事な人生の先輩たちには
一日でも長く元気でいてもらいたいものだ。

2006年09月20日

亡きはなこ先生に捧ぐ

9月16日(土)晴れ

突然の訃報に愕然とした。

中学2年の時担任をもっていただいた
先生の突然の死の知らせ。
私たちとは一回り程度しか違わない
彼女は50そこそこの若さであったはず。

10代という一番やんちゃな年頃を相手にした
女子校での教員生活。
私たちは、先生に対して意地悪ばかりしていた。
つけたあだ名も「はなこ」。

先生も細いカラダから、高い声を
振り絞って「こら~!いいかげんにしなさいっ」。
でも、何をしてもめげない先生は
すごいなぁって思っていた。

意地悪していたくせに、
先生の授業は面白くて、人気があった。

大学受験の際、
私たちの学年には、別の古典を担当の先生が
いらしたにも関わらず、私たちは、
はなこ先生に古典の補習をお願いしに行った。

中学2年の夏、
私は小学校から好きだった
「赤毛のアン」にどっぷりはまっていた。
お下げ髪をはじめとして
どんどん言動がアンそのものに
なっていく私を見て
「そこまで夢中になれるのは、すごい!」
と褒めてくださり、いっぱしの
文学少女気取りだった私のことを
応援してくださっていた。

ご結婚されてから教員生活に別れを告げ
三島にお引越しされたはなこ先生。
毎年、会いに行こうと思っていたが
重い腰は上がらず。
でも、この秋に決まった私をして
初のビッグプロジェクト、
その成果物が来春には、
この世に誕生する予定で、
アンきちがいだった私のことを
よく覚えていてくださった先生なら
きっと喜んでくださるに違いない、
春には、成果物と共に
三島に会いに行こう、なんて
近頃、ちょくちょく思っていた矢先のことで・・・。

私を支えていた柱の一本が
消えてしまったような、そんな喪失感。

恩に報いるためにも、恩師より先に
旅立つことは許されないと思ってはいるが
先生のあまりにも若すぎる死は
無念でならない。

まだまだひよっこな私たち、
親、師匠、恩師・・・。
私たちが頑張れる原動力は
彼らに報告したいから。
「よくやったね」。
褒めてもらいたいから・・・。
なのにな。。。

後悔先に立たず。

会うことは愚か、ご報告もできなかったことが
悔やまれてならない。

やんちゃ放題だった私たちにだったのに
いつも私たちに真剣に向き合ってくれていた
先生の死は、私たちの学年にも
大きな波紋を投げた。
先生は、大きな大人だったねって・・・。

先生、ありがとうございました。

今夜は、32回生全員が
そう祈ったにちがいない。

マリア良子先生のご冥福を
心からお祈り申し上げます。

2006年09月17日

打ち上げ

9月15日(金)晴れ

9.12プロジェクトの打ち上げでした。

会場は、
「~壁一杯の改善提案を~」のテーマに沿い
壁には、めいっぱいの341枚の提案書。
ホッピースタッフの手で
廊下と天井が明るく塗り替えられ
すっかり明るく、見違えるように
生まれ変わった
ホッピー調布工場ミーティングルーム兼食堂。

我が社の自慢!?
(これも師匠の会社のパクリなんですが・・・)
壁一杯のホワイトボードに
みんなで寄せ書き。

壁1.JPG


壁morimoi.JPG
みんなを笑わせ続けてくれた
ホッピー再生委員会のリーダー&サブリーダー
Mori-mori コンビ。

みんなで寄せ書き.JPG

壁ミーナサイン.JPG
うん?DVD公式配布?
師匠の会社の現地見学会でどうぞ!?

セバキリン.JPG
セバスチャン画。今回の超目玉だったキリンです。
セバスチャンは絵も上手!

ホッピー再生委員会と、プロジェクトチームは
本日を持って解散。

明日からは
「HOPPY 愛 感動工場委員会 愛っす!」と
名称も新た、目標も新たに
活動を始めます。

「形から入って心に至る」
で、最初に届いたリクエストは
「おそろいのつなぎ作りましょ~よ~」。

どうやらホッピースタッフは
ユニフォーム好きのようです。

うん?私の好みだって?

「大きなプロジェクトを体験して
スタッフに表情が出てきたね」。

第3世代感動工場プロジェクトの
コンサルをしてくださっている
Y部長からのねぎらいの言葉。

私も同感。
笑顔が自然になってきたホッピースタッフたち。

中小企業の現実は厳しい。
我がホッピー社でも
昨夜、すでにこの感動が吹っ飛ぶような
大問題が発生しました。

でも。
912プロジェクトを共に乗り越えた
スタッフのためにも、
そして、彼らがいるなら
どんなことも乗り越えられると
改めて思う私でした。

祖父が生み、父が育てた
世界でたった一つのホッピー文化の
継続と育成に人生をかけて
がんばるぞ~!

2006年09月15日

スタートライン

9月14日(水)雨のち曇り

10日間更新をとめていたことを、ごめんなさい。

12・13日のホッピー社史上初の大イベント。
師匠の会での
200人をお迎えする工場見学会と
翌日の改善事例発表の
準備に全社で没頭していました。

私も、我ながら今回は、
ものすごい集中力を出しました。
自分の中にこんなに集中力があると
知りませんでした、てなくらい。

一週間、ほとんど寝ずに過ごし、
おかげさまで、本番前日ぐらいから
写真を見ると、私の目が腫上がっています。

でも、楽しかった~!

苦しいことも大変だったことも
てんこもりでしたが
みんなとの休日返上での準備。

高校時代、大好きだった文化祭の時の
気持ちを思い出しました。
まったく同じでした。

発表を終えて。

今回の発表の機会をいただいたのは
2月の事件がきっかけでしがた
私にとっては、2002年
副社長になってからの
1516日の集大成になったと思います。

まさしく秋2年目。
http://www.seasons-net.jp/

「形から入って心に至る」。

200人をお迎えしての
見学会の準備を通じて、
ホッピー社の心がひとつになり、
これからやってくる
新しいホッピーの時代に向けて
その基礎固めができたように感じています。


ここからが私の本当のスタートだな。

気持ちを新たに、
これからも勉強を重ねながら
ホッピー100周年に向けて、
そして、次なる100周年に向けて
いつまでも、どこまでも、必死に歯を食いしばって
がんばります。

私の発表を聞いてくれた仲間の一人が。

「あなたはホッピーと結婚しちゃったのね!」。

ホホホ(*^。^*)・・・。

ということで、
今日からまた、復活します。
どうぞよろしくお願いします!

2006年09月05日

たった一言が分かれ目

9月3日(日)晴れ

たった一言。
たった一言がお客さまを
伝道師にできるか
テロリストにするかの境目である。

赤坂に新しく誕生したスペイン料理の店。
一度行ってみたら演出も味も
なかなか良かったので、
「この間もらった、ボトルサービス券もあるし」と、
とある夏の夕方、再度向かう。

18:30前後だというのに、
店内はほぼ、満席。
赤坂でこれってすごい。

あいているのはカウンターと、
一段あがったところにある奥まったテーブル席
それから、外のベランダ。
でも蒸し暑くて外で食事って感じではないな・・・。

「予約は入れていないんですが・・・」。

店員さん、ぐるっと見渡して。

「カウンターならばご用意できます」。

「奥のテーブル席はどうですか?」

「あちらは、VIP席となっておりまして
ご予約がないとご利用いただけません」。

「予約入っているんですか?」

「いえ、今夜のご予約はないんですが・・・。
どうもすみません」。
15度程度のとってつけたようなお辞儀。

私たちが、店を去ったのは言うまでも無い。
う~ん、
せっかく赤坂にいい店を見つけたと思ったのに残念。

嬉しかった対応については、明日に続く。

2006年09月03日

お知らせとお願い

9月2日(土)晴れ

公的なブログを初めて私用するときは、
ミーナの結婚のご報告と決めていたのだが。

ごめんなさい。
こんな形で使うことをお許し下さい。

携帯を初契約してから12年。
昨夜初めて、水没死させてしまいました。

新幹線から降りるや否や、
いの一番に駆け込んだのが八重洲のドコモ。

通信手段の半分がボイスメールに
変わった今、以前ほど困らないとはいえ
しかし、500件のすべてが失われたのは
コマッタモンダ・・・。

というわけで。

お世話になっている皆様に
お願いです。

お時間のある時に
私の携帯メールか、e-メールに
ご連絡をいただければ
大変ありがたいです。
よろしくお願いします。
ごめんなさい。

カレーにゅう麺から教わったこと。

9月1日(金) 雨のち晴れ

大阪は江戸幸の大将のお話をもう1つ。

先日のこと。
大将の店で
ご迷惑をおかけしてしまった。

シメにいつもいただく
「ウコン入りカレーにゅう麺」。
ウコン入りなので、おかげで翌朝
いつもすっきり起きることができる。

「は~い、おまっとぉ」。
大将が運んでくれた出来立てを
私たちは、テーブルでひっくり返してしまったのだ。
一瞬のことで、なにがなんだかわからなかった私。

気の毒なのは、出来立てのあっつあつを
思い切り腿にかぶってしまったY氏。

大の男と言えども、あまりの熱さに顔がゆがむ。
氷、濡れタオルとお母さんが
運んでくれる。
床もカレー汁でめっちゃくちゃ。
てんやわんやの私たち。

ふと、気づいたら大将の姿が見えない。

「?」と思ったが、熱さに苦しむY氏が気がかりで
そちらに気をとられていたら・・・。

「ほい」。

少しして外から帰ってきた大将が彼に差し出したのは
ヘインズの黒いTシャツ。

「パンツとズボンは買えなかったけど
せめてTシャツ着替えなはれ」。

それも白いTシャツでは、下着みたいだからと
わざわざ黒いTシャツ。

さらに。
「にゅう麺、いま、つくりなおしてやるからな」。

大将の思いやりの黒いTシャツに着替えて
Y氏に笑顔が浮かぶ。

かなり辛い思いをしただろうけれど
大将の心で、痛みや不快な思いも
薄らいだはず。
足は痛むはずなのに、
作り直してもらったカレーにゅう麺を
「これはおいしい!」と、食べていた。

「熱い思いをしてかわいそうに」。
親の味を味わっているような
彼のその笑顔もよかったな。

シャツが汚れたら、新しいシャツを
用意する、貸してあげる。
そういえば、小さい頃
そういう躾を受けたような・・・。

冷静に考えると。
すっかりマニュアルに犯されている私たちが
日々の仕事や生活の中で
ヒトとして当たり前の
思いやりや、感謝を表すことを
忘れていることが実に多いのだ。

わざわざ、会社に電話をかけて
ポスターの依頼をしてくれた
とあるコンビニチェーンの店長様。
車で行けば1時間程度の距離なのに
ところが、うちの営業はすぐに行動しない。
問屋さんに電話して、本部に確認とってもらって・・・。

「お伺いをたてたところ、本来、店舗へのメーカーの
ごあいさつは禁じられていますが
そういうことなら、セールス活動は行わないと言うことで
問題ないのではないかと・・・」。

この場合、誰も悪くない。
みんな、
マニュアルどおり、約束どおりに行動したのだから。

巨大チェーン企業だから、
ルールがないと、店舗のオペレーションが
ぐちゃぐちゃになる、ということはよくわかる。

ちっちゃな我が社でも
マニュアルは大事で必要不可欠な
ルールだと思う。

でも。
マニュアルに頼りすぎるあまり
いつのまにやら、
どうみてもおかしい判断を
おかしいと思えなくなっている自分を
優しくなくなっている自分を
時に感じてゾッとする。

大将の行動を目の当たりにして
ヒトとして基本的に大切なことを
思い出すことができたような気がする。
サービスの原点とは・・・。

私を筆頭に。
ちっちゃなホッピー社は
マニュアルに踊らされること無く
勇気をもって行動できる集団になりたいと思った。

2006年09月01日

ご縁の不思議

8月31日(木)晴れ

大阪のお父さん、お母さんと慕っている
大将のところへ。
今日は、ホッピー応援団でいてくださる
東京の某出版社さんに、
日本で5本の指に入るおいしいホッピーを
飲んでいただこうとの計画。

のれんをくぐって、開口一番
「お友達が来たよ」。

すぐにピンと来た。
大阪にいる友達といえば・・・。

「えいこっ!?」

大将が差し出してくれた名刺を見て
感動のあまり、絶叫。

「お勤め先がここから近いらしいわ。
ホッピーの旗を見て、上司と着てくれはったんよ」。

小学校の同級生で、仲良くしていた彼女。
中学でバラバラになってしまい、疎遠になっていた。

去年、日経新聞の私の記事を見て、お手紙をくれていたのに
私と来たらそのままにしてしまっていて・・・・。

ところが、「大阪広し」にも関わらず、
大将の店と目の鼻の先に勤めていたとは・・・!

ご縁のあるところでは、ご縁がつながる、
ご縁の不思議に、びっくり。

来月は、20数年ぶりに大将の店で
彼女と感動の再会、かな。

幼馴染とのご縁をつないでくれた大将と、
そして先日、
うちのありがとう番長と、カメレオン番長が
とりかえてくれた青と白の新しいホッピーののぼり旗に
つくづく感謝です☆