ハンターキミコ
半日近く社長に案内してもらった赤坂散歩。
最後にやってきたのは、東京ミッドタウンそばの檜町公園です。

ホッピーキング
ここもホッピーの歴史を語るには欠かせない場所なんだ。
ハンターキミコ
ここにも工場が?
ホッピーキング
江戸時代は、長州藩・松平大膳大夫(毛利氏)の下屋敷があったところで
邸内に檜の木立が多かったことから「檜屋敷」と呼ばれていたところから
このあたりを檜町と呼ぶようになったんだけど、明治以降は陸軍歩兵第一連隊が駐屯。
さらに敗戦と同時に進駐軍がやってきたんだ。
ハンターキミコ
進駐軍というとマッカーサーの?

ホッピーキング
そう、今、我々が立っている場所が空き地になってて、彼らが持ち込んだビーフンの空き缶やアメリカンビールの空き瓶が大量に捨てられていたんだよ。
まだまだ物資が不足していた時代だからガラス瓶も貴重でね。ホッピーは飛ぶように売れるけれど瓶がない。
そこで古ビン屋さんに頼んで集めてもらうことにしたんだ。
ハンターキミコ
社長も回収を手伝うことがあったんですか?
ホッピーキング
もちろん、発売当時の従業員は20人くらいの零細企業な上、求人難だったからね。
ハンターキミコ
じゃ、社長とお父様にとっては空き瓶が宝に見えたんじゃないですか。
ホッピーキング
まさに輝く宝の山だったね。いろんな会社の瓶が混じってるから、サイズを合わせるのは大変だったけど…。
ホッピーボトルは外国産のビール瓶によく似ててオシャレだねと言われるけど似てるもなにも、アメリカンビールが原点ですからね。
この時の瓶は昭和48年に工場が調布へ越しても、まだしばらく使っていたほど。

ハンターキミコ
先代社長と二代目の石渡社長の大変な努力が実って、のれんを守ってきたホッピー社来年100周年というのはいかがですか?
ホッピーキング
ホッピーを考案した親父さんの才覚も立派だと思うし、製造し販売してくれた社員にも
頭が下がるし、なんといってもお客様に感謝ですね。
娘の美奈も来年は三代目を襲名する予定ですが、二代、三代と世代を超えて応援して下さっている皆様あってのホッピービバレッジです。
こうしてホッピーの原点を忘れずに、次の世代に愛され続けるよう浅見さんもよろしく頼みます。
ハンターキミコ
社長から直々にお願いされるなんて…もうめちゃくちゃ頑張ります!(*^0゚)v



