ハンターキミコ
涙の解散後、初のminatoシスターズは、ビッグなゲストと歩く赤坂探訪企画となりました。
どんなにビッグかといいますと…今回同行するのは…我が社のドン!
ホッピーキング、石渡光一社長です。

ホッピーキング
(笑顔で)よろしく。(^.^)
今日は浅見さんとハンターキミコさんと行くんだっけ?
ハンターキミコ
いえ、社長…実は、私がハンターキミコという名前で活動をしているんです。(^^;
今日は、ホッピー発祥の地をめぐるツアーのガイドを快く引き受けてもらってありがとうございます!
ホッピーキング
ホッピーと赤坂のためなら、なんでも手伝いますよ。
「使えるものなら、親でも社長でも、どんどん使わなきゃ」と娘のミーナもよく言ってるしね。
ハンターキミコ
今日はよろしくお願いします。
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ハンターキミコ
まずはどこから紹介をして頂けるんでしょうか。
ホッピーキング
まずは赤坂の歴史、そしてホッピー社の歩みおさらいしておこうか!
赤坂は、もともと江戸時代に大名の屋敷地として歴史に登場。
明治維新後は皇族や華族、維新の元勲などに引き継がれたという歴史を持つ街なんだよ。
ハンターキミコ
まずはお屋敷街として発展したんですね。
ホッピーキング
そして明治以降は現在のTBSの場所に近衛歩兵第三連隊が、ミッドタウン東京が建っている場所には歩兵第一連隊が駐屯したんだ。
陸軍相手に商売をする店も増えていき戦前戦中の赤坂は、軍隊のラッパの音で明け暮れる兵隊の町になったんだ。
ハンターキミコ
我がホッピー社の創業者石渡秀先代社長がはじめに手がけたのも、陸軍に卸す「お餅」だったとミーナさんの本で知りました。
ホッピーキング
そう、私の親父さんがまず作ったのが軍隊に卸す餅菓子だったんけどその前に祖父、五郎吉の話から説明しようか。
うちのじいさんは千葉県の九十九里の白子出身で大工をしていたんだ。
ハンターキミコ
五郎吉さんは運命的な出逢いで結婚されたと聞いてます。
ホッピーキング
そう。じいさんが結婚することになり披露宴当日、近所の魚屋さんに鯛を買いにいった所、その家の娘さんに一目惚れ!
結局、縁談はドタキャンに。
田舎でのこと、やっぱり地元には居づらくなって、知り合いを頼って出てきたのが赤坂だったんだ。
ハンターキミコ
もしも、結婚式当日、五郎吉さんが魚屋さんに行かなかったら…
もしも、誰か別の人が買いに行っていれば今、ホッピーがこの世にないんだと思うと不思議ですよね。(~ー~。)
ホッピーキング
だけどきっと、運命の出逢いも、赤坂に出てきたのも「宿命」だったような気がするけどね。

ハンターキミコ
「宿命」と書いて「さだめ」ですね。
ホッピーキング
五郎吉じいさんは赤坂でも大工を続け、八人の子供に恵まれたんだけどある日、連隊に納める餅菓子を作らないかという話が舞い込んだ。
自分には商売の才覚がないから無理だけど、決して悪い話じゃないからこのまま断るのももったいない。
で、子供達のなかで、一番商売が上手そうだからと白羽の矢を立てたのが私の親父、秀だったんだ。
ハンターキミコ
秀社長は当時小学生だったそうですね。命令した五郎吉さんも、引き受けた秀さんもすごいですよね。
ホッピーキング
近所の人に手伝ってもらいながら卸した餅菓子が評判で、やがて「今度はラムネも頼む」と言われ、それまで「五郎吉商店」と名乗っていた個人商店をこの機会にちゃんとした会社組織にすることに決め、明治43年に自分の名前と、ラムネの水から「秀水舎」を設立したんだ。
ハンターキミコ
今から99年前のできごとですよね。
来年はついに100周年ですよ!
ホッピーキング
御陰様で飛ぶように売れたラムネだったけど、困ったことに冬になるととたんに売り上げが落ちるんだ。
親父さんが知り合いに相談したところ、「信州は暖房も効いてるから、冬も喉が渇いてラムネが売れるよ」と聞いて長野県野沢に千曲飲料合資会社を設立したんだ。
その頃、当時高級品だったビールの代用品というふれこみのノンビアというのが流行っていてね。
ラムネとよく似た原料で簡単に作れるものだから父も誘われたらしいんだよね。
ハンターキミコ
でも、断ったと聞いてますよ。
ホッピーキング
頑固だったからね。
「こんなものをノンビアと呼ぶなんて冗談じゃない!」と何度誘われても、絶対に頭が縦にうなずかないんだ。
どうせ作るなら、本当のノンアルコールビールを造るべきだというのが曲がったことの嫌いな親父さんの持論だったからね。
そんな事があって信州の工場に顔を出しある日、野沢にホップ畑が広がっているのを見て「これを使えば、ノンビアが作れるかも」とひらめいたらしいんだね。
ハンターキミコ
ホップがあるから信州に進出したんじゃなくて、たまたま信州に工場を造ってホップ畑に遭遇するなんて、不思議な縁ですよね(^.^)。
ホッピーキング
ただ、ホップが手に入ったからといって簡単にホッピーが誕生したわけじゃない。
「本物のホップを使った本物のノンビア」であるホッピーが生まれたのは戦争が終わってからだからね。
ハンターキミコ
終戦を迎えた混乱の中、粗悪なメチルアルコールを口にし失明する人が続出してホッピーがそれを救ったそうですね。
ホッピーキング
そう。親父さんも「今こそ自分が作ったノンアルコールビールの出番だ」とホッピーを売り出すことを決意。
こうして終戦から3年後の昭和23年7月15日、「秀水舎」を「コクカ飲料株式会社」と改組し麦酒様清涼飲料「ホッピー」の製造販売を始めたんだ。
ハンターキミコ
ホップ畑と出逢ってから数えると20年以上も研究をされていたことになります。
ホッピーキング
我が父ながら、その情熱には驚くばかりだね。




